ラストシーン、呆然としましたよね。
私も初回は「え、バッドエンド?」「結局誰が悪かったの?」と思考停止しました。
監督のミスリードにまんまと引っかかり、主人公と同じように疑心暗鬼に陥ってしまった私たち。でも、映像をコマ送りで見直して気づいたんです。あの祈祷師が着替える一瞬、彼が履いていた「下着」に。
あれを見た瞬間、全ての謎が解けました。
この記事では、「解釈は人それぞれ」なんて曖昧なことは言いません。映像に残された決定的な証拠を元に、この映画の「唯一の正解」を論理的に解説します。
この記事を書いた人
映画探偵・K
ミステリー映画専門考察ブロガー / 元映像編集者
「ラストシーン、呆然としましたよね。私も初回は『え、バッドエンド?』と思考停止しました。でも、映像をコマ送りで見直して気づいたんです。あの祈祷師が着替える一瞬、彼が履いていた『下着』に。あれを見た瞬間、全ての謎が解けました。監督、性格悪すぎます(褒め言葉)。」
【結論】3人の正体を断定!日本人は「悪魔」、祈祷師は「グル」
まず、最も重要な3人の登場人物の正体をはっきりさせましょう。
- 國村隼演じる「日本人(よそ者)」:悪魔
- ファン・ジョンミン演じる「祈祷師イルグァン」:悪魔の手先(グル)
- チョン・ウヒ演じる「白い服の女(ムミョン)」:土地の守護神(善)
これが、ナ・ホンジン監督が仕掛けたパズルの正解です。
「日本人は実はいい人だったのでは?」「女が悪霊なのでは?」という説もありますが、それは監督のミスリードに完全にハマっている証拠です。
なぜそう断言できるのか。次章から、映像に残された「動かぬ証拠」を提示していきます。
証拠1:一瞬映る「ふんどし」が示す、日本人と祈祷師の共犯関係
この映画最大のトリックは、「日本人と祈祷師が敵対しているように見せかけて、実は仲間だった」という点です。
その決定的な証拠が、祈祷師イルグァンが着替えるシーンに隠されています。
彼がズボンを脱いだ一瞬、その下に履いていたのは、なんと「ふんどし」でした。
ふんどしは、日本人が滝行のシーンなどで履いていたものと同じです。韓国の祈祷師が、日本の伝統的な下着であるふんどしを履いているのは明らかに不自然です。これは、彼が日本人の影響下にある、つまり「悪魔の手先」であることを示す監督からのメッセージなのです。

さらに、二人が行っていた「写真撮影」も共通しています。日本人は被害者の写真を壁に貼り、祈祷師もまた写真を撮って箱に集めていました。これは、彼らが協力して村人の「魂」を収集していたことを意味します。
証拠2:ラストシーンの「鶏の鳴き声」と聖書「ペトロの否認」
そして、最も難解なラストシーン。
白い服の女(ムミョン)は、主人公ジョングにこう言いました。
「鶏が3回鳴くまで、家に帰ってはいけない」
しかし、ジョングは祈祷師からの電話(「女が悪霊だ」という嘘)を信じ、鶏が3回鳴く前に家に戻ってしまいます。その結果、家族は皆殺しにされました。
この「鶏が3回鳴く」というフレーズは、聖書の「ペトロの否認」からの引用です。
イエス・キリストは弟子のペトロに「鶏が鳴く前に、あなたは3度私を知らないと言うだろう」と予言し、実際にペトロはその通りにしてしまいます。
つまり、このシーンにおける白い服の女は「神(イエス)」の役割を果たしており、主人公は信仰を試され、そして敗北した(信じきれなかった)ことを意味しているのです。
もし彼が女を信じて待ち続けていれば、悪魔の罠(金魚草の結界)によって、家族は守られていたはずです。
監督が削除した「別エンディング」の内容とは? (FAQ)
最後に、この解釈をさらに裏付ける「別エンディング」について紹介します。
Q. 別のエンディングがあったって本当ですか?
A. はい、削除されたシーンが存在します。
ナ・ホンジン監督のインタビューによると、当初の構想では、ラストシーンの後に「祈祷師イルグァンが、日本人の車に乗って一緒に去っていく」という描写があったそうです。
これがあれば、二人がグルであることは誰の目にも明らかでした。しかし、監督は「観客に解釈の余地を残したい」として、あえてこのシーンをカットしました。
まとめ:私たちは「疑い」という悪魔に負けた
『哭声/コクソン』は、単なるホラー映画ではありません。
「誰を信じ、誰を疑うか」という、人間の心の弱さを試すテストのような作品でした。
- 日本人は悪魔であり、祈祷師はその手先でした。
- 白い服の女は、必死に村を守ろうとした神でした。
- そして主人公(と私たち観客)は、悪魔のミスリードに騙され、神を疑ってしまったのです。
この真実を知った上で、もう一度見返してみてください。
ふんどしの一瞬や、儀式のシーンでの視線の交錯など、初回では気づかなかった伏線が次々と見えてくるはずです。
[参考文献リスト]